|
 |
| プロフィール |
|
Author:堀久太郎
新潟県出身、愛知県在住29才男。斯波高経より二十三代、堀直政より十五代目の子孫(分家、不確定の部分あり。)。画像は堀氏の家紋「亀甲に花菱」。自作の手書きのため、よく見るとゆがんでゐる。
|
| FC2ブログランキング |
|
|
|
 |
|
| たしなむべし。 歴史、教養、道徳、社会の秩序などなど、むづかしい話をやさしく語るやさしいをのこのぶろぐ。 |
| 斯波氏と柴田勝家 |
柴田勝家の先祖は鑁阿寺(ばんなじ)にある『新田足利両家系図』によると、斯波義勝に始まり、勝重、勝義、勝家と来る血筋で尾張国上社村(名古屋市名東区)を領したといふ。『系図纂要』には斯波義勝といふ名はないが、斯波義寛(一四五七年生)の弟に義雄がいて、読みが同じ「よしかつ」也。奥田家や奥田之堀の系図を見ていると、昔の人は読みに比べると漢字には頓着しない、あるいは正確なところが伝わりきっていない感を受ける。例えば利と敏、正と政、などが文の各所や代ごとで混用されていたりする。そこから義勝が義雄と同一人物だと仮定すると、柴田勝家がその曾孫であるといふのは年代的には無理がない。しかし前出『系図纂要』では義雄には義虎といふ子がいて、武衛家の義統が織田信友に殺されたとき共に殺されたといふ。他には義虎の弟に存意といふ出家した人がいるのみ。
こうしてみると柴田氏が斯波の流れである可能性が薄い感じもするが、他の状況証拠を探してみると、『系図纂要』には斯波義統の弟(あるいは次男?しかし孫が三方ヶ原で四十二歳で戦死したとあり、年代的に弟か、それでも無理があるか?)に牧義長といふ人がいて、その長男の長義は春日井郡川村城主、次男の長治は長湫(長久手)城主になっている。想像を膨らませると、武衛家が東の守りに柴田氏、牧氏を配し、西北の守りに奥田、蜂須賀を配したのではないかとおもふ。別に血筋でなくても家臣をそのように配した可能性もある。織田信長が柴田勝家は斯波の血筋という認識で斯波家の悲願だった越前を勝家に与えたとすれば物語としては魅力的だが。若狭の高浜を領していた逸見駿河守が没したとき、溝口秀勝は溝口氏が逸見氏の庶流に当たるといふ理由で高浜五千石を賜ったといふ。武家が氏族の流れといふのを意識していたといふのが伺われる逸話也。
FC2 Blog Ranking
 ↑一押しされたし。其の一押しが力となり、あたらしきものがうまれる。
|
|
 |
|