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堀久太郎

Author:堀久太郎
新潟県出身、在住30才男。斯波高経より二十三代、堀直政より十五代目の子孫(分家、不確定の部分あり。)。画像は堀氏の家紋「亀甲に花菱」。自作の手書きのため、よく見るとゆがんでゐる。

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たしなむべし。
歴史、教養、道徳、社会の秩序などなど、むづかしい話をやさしく語るやさしいをのこのぶろぐ。
堀重俊書状
 堀重俊書状は美濃の郡上市白鳥町長瀧寺に寺領を寄進したもの。所領は浜松にあったやうで、上池川といふ地名は今はないが、下池川といふ地名が浜松城のすぐ北にあり、この近くだらう。白山信仰といふのがあり、東海地方を中心に信者がいたそう。また同じ内容の松平忠頼の書状もあるといふ。

堀重俊寺領寄進状寫

寄進申候白山領之事
合拾石者、
右於末代、相違有間敷候、但在所者、遠州濱松之内
上池川ニ而、寄進申者也、仍如件、
 慶長六丑十一月廿三日
         堀勘兵衛
            重俊
 長瀧寺
   一乗坊参

 堀秀重の子には重俊といふ名の子はいない。勘兵衛といふ名で思い出すのは、徳川忠長に仕え、のちに新発田藩に来た秀重の六男三政。書状の慶長六年頃は浜松は松平忠頼が治めていたやう。徳川忠長の前は松平忠頼に仕えていたのだらうか。年齢は十代半ばくらいか。三政の子は重昌と重時といふ名で、なぜ重といふ字を付けたのかよく分からなかったが、最初重俊といふ名で、のちに三政と改めたのだとすると腑に落ちる。それにしても兄に利重がいるから、同じ兄弟で「とししげ」「しげとし」なんて名付け方も昔はあったんだな〜と変な感じもする。
 堀三政の娘は主馬之助直正に嫁いでいるので、直正の子孫は三政の血も引いている。その三政の足跡にこんな形で触れることができて感無量也。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

この記事に対するコメント
堀重俊寄進状について
こんにちは。通りすがりの者です。

長滝寺ですが、飛騨ではなく美濃にあります。
現在の岐阜県郡上市白鳥町長滝です。

この寺は、石川、福井、岐阜にまたがる白山を信仰する
白山信仰の中心地の一つとして栄えていました。
特に美濃、尾張、三河、遠江、駿河、伊勢などの主に東海地方に
たくさんの信者を獲得していたようです。

よって、文中に白山領とあることからも、
信仰による寄進とみなすことが出来ると思います。

なお、『白鳥町史史料編』803ページに
「松平忠頼知行寄進状(写)」
という、日時も内容も全く同様のが存在します。
(次ページには「堀重俊寄進状(写)」も載っています)
是非一度御覧くださいませ。
【2008/09/01 20:55】 URL | ベリー #- [ 編集]

白山信仰ですか
情報ありがとうございます。よそものなので地図を見てもどこから飛騨でどこまで美濃か分かりませんでした。松平忠頼の書状もあるとは。主君の代筆なのか、主君に倣い同じ石高を寄進したのか。忠頼と重俊の関係は信長と秀政みたいなんだろうか。秀政も信長の書状に副状を出しているし。

本文も指摘の通り直しておきます。ありがとうございました。
【2008/09/02 19:16】 URL | 堀久太郎 #- [ 編集]


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